国公立理系
子どもが良い経験を積んでいくために親ができるのは、その時“最良”と思われる環境を与えることだけ。「行ってきます!」去年と違い、自信に満ちた顔で試験に向かった息子の様子を思い出すと「四谷学院で浪人したのは間違いでなかった」と実感します。
大阪大学工学部合格 のお母様
四谷学院に入る前はお子様はどんな状況でしたか?
高校が進学校だったため、1年生からとにかく京都大学と言われ続け、”京大だけが大学ではない”という親の言葉には一切耳を貸しませんでした。
また、特にやりたいこともないのになんとなく農学部を志望。主人はやりたいこともないのに何故農学部を受けるんだ?特にやりたいことがないなら将来のことを考えて、つぶしのきく工学部にするべきだと言っていました。私はなぜか、京都大学が彼にとって有益な学校なのだろうか?という疑問がついて回っていました。
本人もセンター試験が思うようにいかなかったこともあり試験前は落ち着かず、イライラしているのが手にとるようにわかり、落ち着かない中で迎えた去年の入試は当たり前のように不合格でした。
進学校ということですが、四谷学院を選ぶに至った理由は何でしたか?
彼の卒業した高校出身であれば入学金免除、特待生といった優遇制度もあるため、色々な予備校からパンフレットが送られてきました。しかし、大抵の学校は志望校別にクラスが決められ大教室での大勢の授業ということでした。それでは高校と変わらない、と思いました。せっかく浪人して勉強するなら、何が解らないためにその問題が解けないのか、つまり自分の弱点を解りそれを克服して欲しい、基礎をきっちり固めて欲しかったのです。それには55段階はぴったりだと思い、入学することにしました。
四谷学院はなんば校の近くによく行くため、看板はいつも見ていましたし、電車やテレビでの広告も何となく見ていました。
実際入学してみてどうでしたか?
最初のクラス分けでは自分が思っていたクラスレベルより低かったため、絶対に上のクラスに上がってやるぞ!という気持ちがわいたようでよかったと思います。また、まじめな性格なのでさぼるということはないと思っていましたが、定期的に出席状況や現在の学習の進行状況が送られてきて、それを元に本人と話もできてよかったと思います。
また、志望校決定の時も、親子での話し合いだと感情的になってしまうことも、学校側の実績を優先させるのでなく、受験コンサルタントが公平な立場で一緒に考えて下さったことで、志望校変更もすんなりいきました。京大一色の志望校選びから、冷静に自分にあった学校と学部を選んでほしいと思っていましたので、安心しました。
お子様へのアドバイスや親として気をつけたことなどはありますか?
勉強に関しては何もわからないのでアドバイスすることはありませんでした。ただ学部決定に関しては、主に主人が現在の日本の状態とこれからどのようにしていくのが現時点で一番ベストなのか、ということなどを子どもと時々話し合っていました。
私はそれぞれの大学の情報を色々聞き、彼にとっていい大学はどこなのかを探しました。また、大学へ行くということは社会に出て、働いて生活していく基礎を作る場所でもあることから、働くということはどういういことなのか教えるために、家の仕事もできるだけ手伝わせました。
本来なら、このようなことは高校在学中にするべきことかもしれませんが、クラブや勉強、学校行事に追いかけられていた時にはそんな余裕はなく、浪人することにより、そういう時間を持つことができよかったと思います。
合格はどのようにお知りになりましたか?
ネットで見ました。ヤッター!と思わず万歳をし、本当にうれしくて色んな人に報告しました。本人は中期のテストで大阪府大に行っており、自分で見るから絶対メールしない様に・・・と言われていましたので知らせず、試験から帰ってすぐにパソコンで確認していました。阪大のテストが終わった時点で合格は確信していたようですが、やはりもしかして・・・という思いはあったみたいで、ほっとした様子でした。主人は会社のパソコンで確認したようで、私が知らせる前に”受かってる!”とめったにしてこないメールを送ってきてくれました。
これから受験を迎える生徒の保護者へのメッセージをお願いします。
私は最初は”ああ、浪人かー”と暗い気持ちになっていました。しかし、我が家の子どもの浪人生としての1年を振り返ってみますと、浪人してよかったかなーと思います。それは、先にも書きましたように、親も子も周りに流されることなく冷静になって志望大学、学部を選択できたこと。そして、余裕をもって受験に臨めたことです。子どもは高校在学中は苦手だった科目も自分で確信できるほど、出来るようになったと言っています。
よく若い時の挫折は彼らがこれから生きていくうえでの良い肥料(経験)になると言われます。 しかし子どもが良い肥料(経験)を作っていく為に、私達が親としてできたのは、その時彼にとって最良と思われる環境を与えることだけでした。彼は試験当日、去年とは違い、自信に満ちた顔で「行ってきます。」と言って出かけました。それを思い出すと、あの時四谷学院を選択したのは決して間違っていなかったと思います。