Interview
「看護」と「哲学」を結びつけ
私たちが当たり前に生き、生活できる
「根源」を明らかにする
東京都立大学 健康福祉学部 人間健康科学研究科 教授
西村 ユミ 先生
2年間の看護師としての経験が
20年以上にわたる現在の研究に繋がっている
私の専門は看護師や医師、ソーシャルワーカーなど医療従事者の経験を、「現象学」という哲学分野の考え方を手がかりに探究することです。またそのプロセスで、「現象学的看護研究」という新たな研究方法を作り、提案しています。それにより、人がこれまで自覚していなかった経験、特に他人や周囲の環境との関わりの中で経験していることを浮かび上がらせ、私たちが当たり前に生き生活できる「根源」を明らかにしたい、そして、それらを医療現場にフィードバックすることで、医療に貢献したいと思っています。 私の研究には、私が看護師として働いていたときの経験が深く関わっています。患者さんのケアに携わったのは2年間という短い期間でしたが、とても濃密な時間で、それが20年以上にわたる現在の現象学的研究にも繋がっています。
「無自覚の応答」が
自他の交流を支えている
看護師として植物状態の患者さんを担当していたとき、意識の兆候がないとされる患者さんであっても、何らかの応答をしてくれたように感じる経験がありました。声をかけたときに返ってくるほんのわずかな応答、それは、まばたきのタイミングや体の緊張、手を握るなどであったため、思い過ごしかと疑ってしまうこともありました。他方で、もしも本当に患者さんが応答をしているのであれば、それを研究で検証し、明らかにしなければならないと思ったのです。
しかし、患者さんに心電図や脳波計を取り付けて反応を客観的に評価する方法には限界がありました。そこで、患者さんに関わる看護師の経験に着目し、現象学という哲学分野の考え方を手がかりとして探究することにしました。
一例をあげると、植物状態の患者さんの応答を、ある看護師さんが語ってくれた「視線がピッと絡む」という経験を手がかりに分析しました。そこから見えてきたことは、看護師は患者の状態に応じて、はっきり自覚しないまま応答を行っており、それが相手との交流に手応えを感じさせ、患者の僅かな応答に意味を与えていた、ということです。別の表現をすると、患者の応答の意味は、看護師から患者への応答に支えられていたと言えます。このとき、看護師の応答と患者の応答は分けて考えることができません。物理的には2人の人間の応答として分けることができたとしても、その間に分けられない応答があり、それが自他の交流を支えているとも言えるのです。
今まで見えていなかったことや
言葉になっていなかったことを発見する
これまで当たり前であるために見えていなかったことや言葉になっていなかったことを、データを分析しながら発見していくことが、私の研究の面白さだと思います。
例えば、現在は急性期病院で看護師たちが連携しながら働く(協働実践)ときの言動や行為を探究していますが、現場の看護師たちに伴走していると、ナースコールが鳴っていないのに患者のところに向かうことがあります。その看護師は、ナースコールが鳴らなかったのにどうやって患者の異変に気づくのだろうか。インタビューをしたり、それを分析したりして、「なるほど」と思わず声が出てしまうような発見は、何にも代えがたい経験です。調査や研究は時間も労力もかかりますが、この経験がやりがいとなっています。もちろん、その成果を多くの人に知ってもらい、多様な意見をもらって一緒に考えたり、学生たちの指導の中で一緒に苦労したり発見を喜び合ったりするのもやりがいです。
皆さんもこれまでに色々な経験をしていると思います。その中に、印象に残ったこと、引っかかりを感じたことが複数あるのではないでしょうか。そのままやり過ごしてしまわず、じっくり振り返って、自分が何に関心をもったり何を大事に思ったりしているのかを考えてみてください。はっきり自覚していない自分自身の傾向を知ることで、未来の方向性を考えることにつながると思います。またその探究心は、看護学を一緒に考え探究していく研究力につながると思います。応援をしています。
東京都立大学 健康福祉学部 人間健康科学研究科
https://www.tmu.ac.jp/academics/hs/nursing.html
西村 ユミ先生 研究室
https://tmu-nursing.jp/center/lab-fieldwork-research/
https://fukuirab.fpark.tmu.ac.jp/research.html