Interview
弾圧を受けながら作品をつくる北京のアーティストと交流し「表現の自由」について考える
埼玉大学 人文社会科学研究科 教授
牧 陽一 先生
研究していた作家が「書かされた」詩がきっかけ
中心となるテーマは表現の自由と世界へと開く文化です。 学生時代に出会った曹禺という、中国の近代演劇作家の作品に非常に感動を受け研究を始めました。しかし、作家が天安門事件の際、解放軍への慰問の詩を「書かされた」ことで、体制に強い反感を抱き、この研究を停止しました。その後、1990年代の小劇場演劇を翻訳していましたが、やはり商業主義や政治的な規制の厳しさのために、かつての輝きを失っていきました。前衛的演劇の身体性から、非合法とされた北京東村の裸体のパフォーマンスアートに着目しました。そして文化大革命後、中国民主化運動、北京の春、自由な表現を求める運動を行った芸術家集団、星星画会以来の中国現代アートの歴史を研究しました。欧米現代アートや日本の前衛との比較研究も行いました。
北京でのアーティストとの交流は調査ではなく、友人に会いに行く感覚
文学芸術は世界へと開くものです。なぜか社会主義体制は独裁政権になってしまう。そうすると、世界への扉が閉じられる。中国の人々には世界に向かう自由な表現があるはずだ。私はその声を聴きに、その姿を見に北京へ数十回、数百人のアーティストに会いに行きます。調査などというと、上から目線ですが、私としては、友人に会いに行くという感覚です。文学芸術は人間学です。人間個人が基本です。それは国家でも資本でも民族でもない。だから私たちの心に直接響いてくるのだと考えています。中国の現代美術家アイ・ウェイウェイとは、同時期的に交流しました。政権に理不尽な弾圧を受けながら、素晴らしい作品をつくっています。こうした作品の翻訳や評論を書くことで、私たち自身が自由を獲得していく働きかけができたと思えることが、生きがいです。
自信はなかったけれど文学が好きだという自分に正直になって進んだ文学部で、中国語を選択する。
高校では自分のことを勉強もスポーツも苦手、性格も暗くて「何のとりえもない」と思っていました。自己嫌悪と劣等感の塊でしたね。大学受験に失敗し、挫折もいくらか経験し、文学が好きだという自分に正直になって、文学部に進学しました。野坂昭如や五木寛之が私の憧れで、五木寛之の『青年は荒野をめざす』や『さらばモスクワ愚連隊』に憧れて世界を放浪してみたいと思うようになりました。
それで、何か外国語をやっておかなければならないと思い、ロシア語か中国語のどちらが良いか先輩に相談したところ「中国語が良い」と言われたので中国語を選択したのです。この時には貧しい人々虐げられた人々のための国、社会主義体制に対する憧れがありました。当時はとにかく人とは違う自分をつくってみたかったんです。そこで、まだ受験する人が少なかった公費留学の試験を受けて北京へ行くことになります。親戚からの影響で元々演劇や現代アートに関心があったのですが、留学後、素晴らしい文学作品を読み、将来を決めるようなアーティストに出会い、今の研究に繋がっています。
個性は私たちそれぞれに元々備わっているものだと思います。発揮できる場も無数にあるはずです。なければ、自分で作ればいい。それができる時間とチャンスを大学という場がみなさんに与えてくれるはずです。 しかし、自分の存在意義は結局、他者が決定すると思っています。だから自分のことを自分が思った通りにできないのは、当然のことです。そうした運命や自分の状況を受け入れる覚悟が必要です。生存そのものが奇跡です。夢はなくてもいい。夢は向こうからやってきます。