Interview
過去の政治思想を解明し、未来の理想的な政治を探る
大阪大学 法学研究科 法学・政治学専攻 教授
乙部 延剛 先生
政治の「愚かさ」とどう付き合っていくか
私の専門は政治思想です。政治思想には大きく分けて、過去の思想家の文献を解釈し、その内容を歴史的に解明することを目指す「政治思想史」と、望ましい政治のあり方を探る「政治哲学(政治理論)」という、ふたつの研究分野があります。たとえば、政治思想史だと「トマス・ホッブズはどういう目的で『リヴァイアサン』を執筆したのか?」というような問題を扱うのに対し、政治哲学(政治理論)だと、「正義に適った社会では不平等は許容されるか」といった問いを論じるというイメージです。近年では政治思想史と政治哲学(政治理論)それぞれの専門家の分業が進んでいますが、私自身はどちらにも関心があり、両者を手掛けています。
自身の研究テーマとしては、政治につきまとう「愚かさ」という問題に関心があり、過去の思想家が「愚かさ」をどう位置付けてきたか、また、私たち自身が、愚かな政治とどう付き合うべきか、という問題に長く取り組んできました。政治は人々の暮らしをよくすることもある一方で、嫌な側面、ダメな部分も多くあるわけですが、そういう政治とどう付き合っていくかという問題に関心が強いです。
米ソの政治が世界を変えた瞬間の驚き
私の小学校高学年から中学生にかけては、冷戦の終結期で、世界史的なニュースが相次ぎました。なかでも、冷戦終結への先駆けとなった、1987年に米国とソ連が締結したINF(中距離核戦力)全廃条約に強い印象を受けました。物心ついたのが冷戦期だったので、具体的な知識はなくても「明日にも米ソの核戦争が起きて人類が滅亡するかもしれない」という感覚がどこかにありました。そのため、ある日突然(では本当はないのですが)、新聞の一面見出しに、核兵器を部分的に廃止する約束ができたと書かれているのでびっくりしました。世界が変わっていく、世界は変わりうるという感覚を持ちました。これが今の研究に関心をもったきっかけです。
こういう経験をすると、国際政治学や平和活動に関心が向かいそうなものですが、私の場合は少し違いました。核兵器が減って世界が平和になるのは当然喜ばしいのですが、それよりも、遠く離れた米ソ首脳の行いが田舎の小学生の生活にも影響を及ぼすことに驚いたのだと思います。政治がそこにあることを知った、ともいえるかもしれません。
多岐にわたる研究対象とテーマが魅力
この研究の面白さは、間口が広く、なんでも研究できる点です。ふつう、政治学では、政治家や有権者の行動が研究対象になるわけですが、政治思想研究の場合、古代からの思想家が残した著作や、小説や映画などを扱うこともあります。私自身、小説家のギュスターブ・フローベールや文芸批評家の小林秀雄などを研究対象にしてきました。また、研究対象だけでなく、研究のテーマ自体も広く、友人とのふとした会話や日常の経験にも研究の問いが潜んでいます。思春期の悩みだって(たぶん)研究テーマになり得るでしょう。川崎修先生という有名な研究者が、政治理論の入り口は沢山あるとおっしゃっていましたが、その通りだと思います。
受験勉強は限られた時間で膨大な量をこなすので大変ですが、短期的な合格だけにとらわれず、広く勉強されるとよいと思います。私自身は数学が大の苦手でしたが、それでも数学の配点が高い大学を志望していたので、受験生の頃は数学ばかり勉強していました。ところが結果は散々。受験のことだけを考えれば、得意な社会や英語に力を入れた方が良かったかもしれません。しかし、数学も一通りやった、(少しは)理解できた、という経験があると、その後の人生で数学に取り組む必要があっても怯まなくて済みます。現在、研究や教育で数学を用いることはありませんが、受験時に数学に取り組んでおいてよかったと思います。同じことは古文や英語等、どの科目にもいえると思います。苦手科目を無理してアレルギーができてしまうようではいけませんが、なるべく広く取り組んでみてください。