Interview
世界中の人の「生きやすさ」の改善に貢献できる
ポテンシャルを持つ心理学の力
お茶の水女子大学 基幹研究院 人間科学系 准教授
伊藤 大幸 先生
科学的なエビデンスに基づく教育のための研究
心理学は大きく分けると、人の心の仕組みを科学的に明らかにしようとする「基礎」の領域と、カウンセリングや心理療法によって心の問題を抱える人を支援する「臨床」の領域に分かれますが、私はその中間にある「応用」の領域の研究をしています。応用の領域では、心の仕組みを明らかにすることを通して、人の暮らしに役立てることを考えています。日本では長い間、心理学の基礎領域と臨床領域が分断した形で発展を遂げてきており、両者をつなぐ応用領域の研究者が少ないのが現状です。
現在メインで取り組んでいるのは、子どもの心の発達と精神病理に関する大規模縦断研究です。ある都市の全ての子どもを乳幼児期から思春期に至るまで追跡して調査することで、不登校、いじめ、非行、自傷行為などの心や行動の問題のメカニズムを探り、予防・介入の方策について提言することを目的としています。15年以上にわたり、毎年1万人以上の子どもを対象に調査を継続してきており、心理学領域では国内で最大規模の縦断研究となっています。不登校がなぜ増えているのか、いじめはどうして起こるのか、自傷行為や自殺はどうすれば防げるのか、どれも子どもの成長や教育を考える上で最も大事なテーマだと思いますが、日本では実証的なエビデンスがほとんどなく、個々の教師の経験や直感に基づく対応に依存しているのが現状です。私たちの研究は、こうした問題に対して、科学的な事実に基づいた対策を行うためのエビデンスを構築することを目的としています。
人の心は小宇宙と言われるくらい神秘に満ちていますが、“心”という目に見えない現象を多面的な測定によりデータ化し、巧妙な研究デザインと統計解析によってその法則性を見出していくという科学的な研究のアプローチによって、仕組みの一端を明らかにできたときの喜びは格別です。
この研究で得た知見が小学校1クラスの
児童数上限の引き下げにつながった
この研究ではこれまで70以上の論文を発表してきていますが、最近の大きな実績としては、クラスサイズ、つまり1学級あたりの児童生徒数が増えるほど、学力だけでなく、クラス内の友人関係や精神的な健康にも広く悪影響をもたらすことを明らかにしました。この知見は政策決定の重要なエビデンスとなり、全国の小学校で40年ぶりにクラスサイズの上限が引き下げられるという法改正につながりました。これにより、先生の目の届かないところで悩みを抱えている子どもや、業務の肥大化で疲弊している先生の状況を多少なりとも改善することができるのではないかと思います。このように、心理学の研究はうまくいけば日本中、場合によっては世界中の人の「生きやすさ」の改善に貢献することができます。
自分自身が子どもの頃に感じた「生きづらさ」が研究の原動力
自分自身が幼少期から経験してきた「生きづらさ」が私の研究の原動力になっているように思います。小さい頃から極端な引っ込み思案で、対人関係に疲れやストレスを感じやすい特性がありました。最近の言葉で言うとHSC(Highly Sensitive Child:過度に敏感な子ども)に該当する子どもだったのかもしれません。また、家庭があまり裕福ではなかったので、金銭的な面での大変さを感じることもありました。もともと学ぶことは好きだったので、塾に通えないことは自主学習である程度カバーできたのですが、思春期に入って、周りの友人がおしゃれを楽しんでいる中で、自分がその輪に加わることができなかったのは、HSC的な特性も相まって、とてもみじめに感じていました。おそらくこうした経験が、「この世界で生きづらい思いをしている人を一人でも減らしたい」という今の研究のモチベーションにつながっているのかなと思います。
人の心の仕組みを探る心理学は、人間に関わる非常に広い範囲の社会的課題の解決に貢献できるポテンシャルを持っています。心理臨床(心のケア)はもちろん、教育、子育て、あるいは、事故や犯罪の抑止、もっと大きいところでは環境問題や紛争の防止などにも役立てることができます。研究を通して多くの人の暮らしの質の向上に貢献できる、こんなにやりがいのある学問領域は、他を探してもなかなかないのではと思います。
心理学は文理融合型の学問なので、文系的な言語やコミュニケーションのスキルも、理系的な思考力や探求心も活かすことができます。これまでたくさんのことを勉強してきた皆さんの中には、それを単に受験勉強で終わらせるのではなく、何らかの形で人や社会のために役立てたいと考えている人も多いのではないかと思います。心理学の研究を通して、その思いをかなえてみませんか。
お茶の水女子大学 基幹研究院
https://www.hles.ocha.ac.jp/ug/psy/
伊藤先生の研究室
https://www-p.hles.ocha.ac.jp/ito-lab/