Interview
犯罪の少ない安全な社会を創るために
慶應義塾大学 法学部 教授
太田達也 先生
法治国家ならぬ放置国家に
新たな法制度の創設を
私の研究テーマは刑事政策と被害者学です。刑事政策とは、犯罪の少ない安全な社会を創るための政策を追究する学問で、どのような刑罰や処分の制度を作るかという刑事制裁論、犯罪者の処遇や教育の在り方を考え、いかにして再犯を防ぎ社会に復帰させるかという犯罪者処遇論、そして犯罪を未然に防ぐためにどうするかという犯罪予防論があります。特に旧態依然とした懲役・禁錮に代わる新しい刑罰や、仮釈放の制度設計などを研究しています。また、我が国には満期釈放者に対する有効な再犯防止対策がありません。仮釈放と異なり社会の中で指導や監督を受けることがないため、当然の結果として半数が5年以内の再犯で刑務所に戻ってきてしまうのです。「法治国家」ならぬ「放置国家」となっているため新たな法制度創設に向けた研究にも取り組んでいます。
根本的な問題解決を目指し
法解釈論から立法政策論へ
私が学生の頃は、どのような法制度を作れば犯罪の少ない安全な社会にできるか、という立法政策論を学ぶ機会は殆どありませんでした。日本の場合、法学部で勉強することの99.99%は法解釈論で、実際の法律を出発点に条文には書かれていない法の適用の在り方を学びます。刑法の正当防衛を例に取れば、人から急迫不正の攻撃があると誤信して行った防衛行為で相手が死んだ場合でも正当防衛は成立するか、というように。こうした学問も適切な刑事司法制度を運用していく上で欠かせないものですが、それだけで安全な社会が保てるわけではありません。刑罰を受けても再犯を起こす者がいるように、今ある法律を正しく適用するだけでは問題解決にはつながらないのです。法解釈の講義に物足りなさを感じていた頃、刑事政策をやっている宮澤浩一先生のゼミに入ったのが、この分野に関心をもつようになったきっかけでした。先生は日本に初めて被害者学を紹介した研究者でもあります。
被害者学は元々、被害の実態を研究することによる犯罪被害の予防を目的としていましたが、それが被害者支援論へと発展していきました。研究の結果、被害者が誰からも支援されていないことによる様々な問題が明らかになってきたからです。例えば犯罪によって経済的損害を負った被害者がその窮状を放置され犯罪者以上に苦しい生活を送っているということがあります。民事裁判等で損害賠償が認められても実際に支払う犯罪者は殆どおらず、また長期間刑務所に収容されることもあるため、刑の執行過程で損害賠償を実現する新しい法制度の創設に向けた研究にも力を入れています。
社会の安全確保や
被害者支援向上の一助に
刑事政策や被害者学は実利的な学問です。国が法律や制度を新しく作る際、研究内容の情報提供や意見を求められることもありますし、官庁における立法や制度設計の作業に直接加わることもあります。微力ながら社会の安全確保や被害者支援向上の一助となれることは研究者としてやりがいを感じる瞬間でもありますね。最近は県や市区町村が再犯防止対策や被害者支援に従事するようになってきており、地方公共団体の条例や計画の制定に関わることも多いです。自治体の場合、自分達の作業成果が目に見える形で実現していくため非常にダイナミックな仕事です。
今の当たり前も、かつては非常識
自分が正しいと信じた方向を追究する
ただ、国や自治体の制度作りに繫がることだけがこの学問の仕事ではありません。検討している制度が直ちに実現するわけではありませんし、学界や実務界から理解されないことも往々にしてあります。今では誰もが被害者支援を必要だと認め様々な法律や制度が実現していますが、かつてはその重要性を唱える研究者が極めて少なく、それどころか被害者学を否定する研究者や実務家がむしろ多数でした。それでも先人達が粘り強く研究を続けた結果、非常識とされていた制度が今では当然の制度として確立しています。研究とはそういうものです。慶應義塾には「独立自尊」というモットーがあります。古いしきたりや因習に囚われず自他の尊厳を守り何事も自分の判断・責任のもとに行うことが求められます。自分が正しいと信じた方向を追究していくこと、これが学問に求められる精神です。
新課程となり受験生は大変でしょうが、皆さんがやっている勉強は必ず自分の人生の糧となります。あまり小手先の勉強に走らず、学ぶ内容の本質を考えるような勉強をしてくことが大切だと思います。