Interview
19世紀ドイツの医療をめぐる人々の動き
歴史を紐解くことが現代の問題を見つける鍵に
同志社大学 文学部 文化史学科 教授
服部 伸 先生
近代医学と非正統医療の攻防
近代医療に背を向けた人の背景を探る
私は、19世紀から20世紀前半のドイツにおいて、科学的医学に反発してホメオパシーや薬を一切使わない自然治療といった非正統医療の治療法を実践した人びとの活動について、文化史や社会史の観点から研究しています。ホメオパシーは18世紀末にザムエル・ハーネマンというドイツの医師によって考案された治療法で、ある特定の症状が出る疾病に対して、健康な人に服用させるとその疾病と類似の症状を引き起こすとされる物質を投与することで、身体がもっている治癒力を引き出し、疾病を根本から治すというものです。物質を天文学的に希釈して投薬することにより、潜在的な治癒力を引き出すと信じられました。
19世紀末から20世紀初頭のドイツは、基礎医学分野においてコレラ菌や結核菌を発見したロベルト・コッホに代表される多くの優れた医学者を輩出し、医学研究で世界をリードしていました。また、臨床分野でも安全で効果的な手術が開拓されました。その成果により、幅広い基礎医学の知識と高度な臨床技術をもつ医師がどんどん養成されるようになったのです。19世紀末には、医学と医師への信頼性が急激に高まりました。これを後押ししたのは国家です。近代医学に基づく治療によって、人々が健康に生活できることを啓蒙し、健康診断等を通じて近代医学へと誘導したのです。ところが、その近代医学に背を向けて、非正統医療の治療を受ける人が多数現れました。何故だと思いますか?
原因のひとつは、医師と患者の関係性です。階級や学歴が重視されたドイツ社会では、庶民にとって大卒の医師は雲の上のような存在であり、その命令は絶対でした。それに抵抗する人がいたのです。またひとつは、近代医学への不信感からです。当時のドイツでは、義務化されていた天然痘予防接種である種痘の接種後に深刻な副反応が出て、死亡者まで出るという大きな問題がありました。新しい医療技術に不信感を持った人は、人体に無害と思われる医療として、ホメオパシーや自然療法を選んだのです。
最近は、ホメオパシーを信奉した人びとのネットワークに関心があり、西南ドイツで結成された協会の活動記録の研究もしています。実は協会の会員たちは近代医学や国家の権威を全て否定したわけではありません。病院を建てるのに奔走したり、時には科学的医学の知識と技術を持つ医師の治療を希望したりすることもあったのです。このことから、ホメオパシー信奉者も政府が広めた近代医学の啓蒙や指導から自由ではなかったことが分かります。
このように、一つの事象を深堀りしていくと色々なことが見えてくるのが歴史学の醍醐味でしょうか。歴史学は単に過去のことを明らかにするだけではなく、過去と現在の対話でもあります。歴史学を志す人は、現在の諸問題にもぜひ関心を持っていただきたいです。
留学中の偶然の積み重ねで
今の研究テーマと出会う
私はドイツ留学中、帝政期ドイツのカトリック政党について研究していました。研究の一環で州議会議事録を調べていた際に「ホメオパシー」という、これまで聞いたこともなかった言葉を見つけたのです。偶然私が所属していた研究室のドイツ人がホメオパシーの歴史を研究する施設で働いていたことから、この不思議な言葉の意味を知るために、軽い気持ちで彼が勤める研究施設を訪れたのです。そこで史料を見ていると、科学的医療や医師を批判するホメオパシー信奉者の発言が気になり、それまでの研究テーマからより面白いと感じた現在の研究テーマに変えてしまいました。本当に偶然の積み重ねで、日本では誰もやっていなかった研究分野に飛び込むことになったのです。
100年以上前のドイツと現代の日本が類似の問題を抱えている
比較研究により見えてくる事実の面白さ
100年以上前のドイツにおける健康を守るための活動を調べていると、医師と患者の関係性、治療の弊害など、19世紀末から20世紀初頭のドイツと1980年代以降の日本が類似の問題を抱えていることがわかり、今につながる問題の出発点が見えてくる面白さがあります。同時にその違いも見えてきます。例えば、日本では漢方治療を受ける患者が協会を組織するという話は聞いたことがありません。患者の会のようなものも、多くは医師が中心的や役割を果たしています。患者たちが主導するのがヨーロッパ特有の文化とまでは断言できませんが、日本との違いが際立っています。
また、健康や身体という身近な問題を扱っているので、さらに研究を広げてゆくことができるのはやりがいになります。進めていけば、男性と女性の関係性や老いや死といった問題も見えてくるはずです。
学校での歴史の勉強、「歴史能力検定」、数多くの歴史を扱うゲーム…これらを通して歴史に興味を持つ人が増えるのは良いことです。しかし、提供された素材の中で知識を蓄え、理解するだけでは「歴史学」という学問を大学での専門分野とするには不十分です。大学での勉学の締めくくりとなる卒業研究では、これまでの学びから自分自身で課題を見つけることが必要になります。歴史学に興味があるみなさんは、山川出版社の日本史リブレット、世界史リブレットの中から、面白そうなものをいくつか読んでみると良いと思います。
歴史学の研究では、後世の研究だけではなく、研究対象となる時代に書かれた文書類も読んでいきます。ということは、日本語の古語や中国古典語(つまり漢文)も含め、他の言語の能力が必要になる可能性があります。とはいえ、これらの習得は大学入学後で良いので、今は英語をしっかり勉強しておきましょう。
同志社大学 文学部
https://letters.doshisha.ac.jp/
同志社大学 文学部 文化史学科
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同志社大学文学部_先生の紹介ページ
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